色つきTV批評


2004.03.13.

フジ・「ほんとにあった怖い話」

 まだやってる。この放送局は恥も知らない、無知な集団らしい。
 それとも、この連中、日本の将来を危うくするのがねらいなのか? 2004.10.18.


2004.05.25.(かなりのタイムラグあり)

アテネ五輪予選、バレー中継

 「ファンの熱気や視聴率は生まれるものではなく作られるもの」(A新聞の評)なんだそうだ。確かに作られた熱気であったと私も思う。そして、その方法にはかなりの疑問を持った。
 企画者の意図は恐らくこうだ「日本のチームを応援するのは当然、相手チームの事など触れる必要はない、相手は敵だ、敵の事を考えさせるな。」かくして、日本の選手については、彼女らの努力の跡を紹介し、美談として強調し、その横顔を何度もアップする。対し、相手チームのメンバーについては極めて単調に名前を言うだけに留める。敵に感情移入させないようにするのだ・・・まさに戦争報道シミュレーションである。この企画がフジである事は留意しておく必要があるかも知れない。
 選手たちの活躍を祝福するなと言っているのではない、彼ら、彼女らの健闘を素直に喜ぶためにも、相手チームとの交流を図るべきだった。しかし、それを意図的に避けた放送であった。


2004.03.13.

フジ・「ほんとにあった怖い話」

 ひさしぶりの番組批評だが、今回は今まで以上に強い「怒り」を込めて書いている。それは、この番組に非常に意図的な醜悪さを感じるからである。単に珍妙な、笑いとばせるオカルトもどきならこうは書かない。決定的な点は、子供をコメンテイターに採用しているところだ。阿呆な大人がバカな事を騒いでいる段には放っといてもいい、が、子供を巻き込むと言う事は、敢えてそれを信じ込ませようとの意図があると見える。
 そういえば、フジ-サンケイグループは、例の「歴史教科書で神話を教えよう」という扶桑社と同じ一味であったな。世の中が「まじない」や「祈祷」や「呪い」のたぐいで動いていると、これから日本を背負って立つ世代に信じさせ、将来の日本を、某宗教集団と同じカオス状態に陥らせて、何をしようという企みなのか。

 作っている者に言わせると「良質な番組」なんだそうだ、厚かましいにもほどがある。客観的に見て、自らが「正論」と主張している者が正論である可能性は極めて低い。


2000.08.24.

恐怖体験アンビリバボー・もちろんフジテレビ

当にアンビリバボーである、こんな番組を平気で電波に乗せている放送局が存在する国とは。説明できない(分からない)ことを全て超常現象と言うなら、後ろからたたかれたら全て妖怪の仕業である。ばかばかしくて、その内容についてはこれ以上書く気も起こらないが、さらに許せない事がある。テレビの取材だと言えば、他人の建物に自由に入り込んでよいと思っているのか!! 鎖が掛けてあろうと、立ち入り禁止と書いてあろうと、勝手にそれは「廃墟」だと言い張って、おかまいなしにもぐり込んで行くのは、「建造物不法侵入罪」と云う立派な犯罪である。
よく見聞きするコメディータレントが出演していたが、ま、日本のタレントとはその程度のものなんだろうな。そんな番組に対し恥ずかしげも無くスポンサーとなっている・ハウス食品、アデランス、P&G、常盤薬局、TOYOTA、その他・・・(全部見てない)


2000.08.13.

NHKスペシャル・「空爆の下の対話・インターネットが記録した戦争」

これだけ情報が行き交う時代に、第二次大戦のような「一億玉砕」を唱える戦争遂行は不可能だ、という意見がある。はたして、そうだろうか?
世界の多くの人々から批判されているコソボ政策を遂行したミロシェビッチを大統領に選んだユーゴは、決して情報が閉ざされた国ではなかった。自由にインターネットが利用できて、世界中と電子メールの交換が出来る国であった。しかしながら、英語を自由に操る能力を有し、アメリカに滞在した経験もあるという女学生は、ベオグラードの被爆体験を綴った日記に対して寄せられた多数の反論を見て、その後に、初めてコソボ住民のことを思うのである。・・・
いくら多量の情報が提供されようと、それを理解しない者に対しては全く意味をなさない。さらに、上質なものから愚劣なものまで、それこそ味噌もクソも一緒くたにした情報の垂れ流しの中では、情報を理性的に選択する能力を有しない者にとっては、情報がないのと同じ事である。
そういえば、「経済大国」などと皮肉混じりに呼称されている東洋のある小国でも、ミロシェビッチに相通ずる時代錯誤の民族主義を唱える首長が存在するではないか。 かの国には今だに、他国の文化を蹂躙しようとした歴史を認めない集団が大きな勢力を誇っている。文明の尺度は、新聞・雑誌の発行数やTVチャンネル数などであるはずがなく、他人の(他国の)個性をどれだけ尊重できる社会であるか、だと云うことを思い知るべし。かの国の住民の情報処理能力の健やかたらんことを・・・


1999.6.12.

土曜ほっとワイド

歌手の橋幸男氏の娘さんが、介護スタッフとして働いているそうだ。自宅で老人介護を続けた母親(つまり橋幸男の奥さんです)の姿を思い出しながら、「今日もいいウンチが出たねえ」と入所したお年寄り達といっしょに喜んでいます・・・というような内容の手紙が紹介されていた。「良いウンチが出る」ことも「ウンチがたくさん出る」ことも、大切なことであって、ましてや、それを口に出して言ったからと非難される事では全くない。数年前に、「ウンチがたくさん出たねえ」と言って入所老人を「いじめている」と書いた某(あ)新聞の記者と、それを読んで鵜呑みにしたお方、この番組見たかい(見てないだろうなあ)。
あの記事は新聞記者が現場を知らない事を示す典型的なものであったな。


1999.5.22.

サイエンスアイ・「気功」

「気功」をする(?)ことで、自律神経が安定し、腰痛が少なくなり、横隔膜の動きが良くなり、前頭葉の血流が少なくなる、らしい。らしい、と書いたのは、これはNHKに限らず日本のTV番組に共通して言える事だが、厳密に比較対照を行ったデータとは、とても言えない調査だからである。横隔膜の動きを比較しようと云うのに、気功をしたことがある人とそうでない人と、たった2人しか登場しないのである。こんなものは常識で考えても全く比較になどならない。科学番組と称するモノを制作している以上、統計学の基本は心得ているはず、と思っていたのだが、まさかご存じないわけでは・・・
大学で気功を教えている(なんと)という講師がデモンストレーションをしながら「腹式呼吸が大切なんだ」と言う。待てよ、これは数年前に同じく教育TVで放送された「ヨガ」の話と同じじゃあないか。そうだよな、別に自律神経が安定し、腰痛が少なくなり、横隔膜の動きが良くなるために「気功」しか方法が無い訳じゃあないんだ。ラジオ体操だって、素振りだって、座禅だって充分その効果はあると思うが、いかが?14年間も気功を研究してきたという某大学の助教授はそんなことは一言も言っていなかったが、編集でカットされたんでしょうか???
「サイエンスアイ」は好きな番組だったんだけどなあ、これもフィルター付きのメガネで見なくてはならないらしい。これから後の放送で出てくる、真面目な研究者が気の毒である。


1999.2.10.

クローズアップ現代「同じ費用で違うサービス」特養老人ホーム格差の現実

老人介護問題は、殆どの者がいずれ、それを受ける身の上となるだけに、極めて敏感に反応するものである。だれだってベストの処遇を望むわけだから。だが、このたぐいのマスコミ報道に共通して感じられるのが、介護を受ける側からの切実な望みは良く分かるのだが、介護をする側の立場が語られる場面が非常に少ないと言うことだ。
ある施設で、おむつの交換が少なかったのでオンブズマンが提言して回数を増やした、という事例が紹介されていた。それ自体は良いことであり、文句を言うつもりはない。だが、それに対応する介護施設のスタッフのその後は、いかなる変化をしたのであろうか。介護スタッフは全員がスーパーマンではないのだ。無理をして一時的に待遇の改善をしても、それが持続的に可能でないなら、いずれスタッフに無理が重なり、結局は介護の質が前よりも落ちてしまうことだってあり得ると思うのだが。「家族にしても、身内を人質に取られているようなものですから、なかなか待遇改善は言い出せないんですねえ」と、すらりと発言するなんとやら弁護士は、他人のうんこにまみれて汗を流している彼らの日常をどれだけ理解しているのだろうか。
(ここで書いていることはもともと言い放題だけれども、さらに個人的な趣味で言わせてもらうが、いい年をして、尻上がり言葉の多用は、非常に耳障りだ)


1999.1.31.

NHKスペシャル・世紀を超えて:第2集「大地はどこまで人を養えるか」

人口の増加に、食糧の増加は追いつかないとは、以前からしばしば警告されていることではあるが、だんだんそれが現実の問題になってきているのではないだろうか。金で解決できる事ではない、のは誰にでも分かると思うのだが、この国の今を見てみると、この危機を自覚していない集団が未だに数多く存在するらしい。


1998.12.4.

ドキュメント日本・「鉄塔をめざす・送電線工事新人職人の8ヶ月」

前回の番組評を書いてから半年経ってしまった。たぶんほとんど読まれていないであろう、このページを更新するのは、全く自己満足以外の何者でもないなあ。そろそろ引き上げ時だろうか。
最初にこのページを作るきっかけになったのも、やはり地道に、かつ着実に自らの技能を磨いている若者のドキュメンタリーを見たことであった。高圧電線を架けるのに最終的にはやはり人間が直接手をかける必要がある事をこの番組で知った。電脳社会と呼ばれる現代、これは電気がなければ全くの空虚なモノになってしまうのであり、地上100mの鉄塔の上で黙々と作業をしている彼らに、我々は最大限の感謝を表す必要がある。早く一人前になってお母さんに孝行をしたいという○○君、法律による年齢制限でまだ鉄塔に登れず、今は地上で訓練している○○君、世の中には派手さで注目を浴びるモノもいるけれど、私はそんな人種よりも君たちと同時期に生きたことをずっとずっと誇りに思う。

1998.11.29.

NHKスペシャル「マネー革命」(2)世界は利息に飢えている

世界のカネの95%以上が、単なるカネとカネの移動のみで取引されていると言う。それを象徴する番組であった。通貨の変動を利用してコンピュータ上で取引し、数分の時間で数千万から数億のカネを稼ぐのだそうだ。このような、実に非生産的な行為が堂々とまかり通っている上に、それがある種の賞賛さえ得ているという世の中に、私は強い不快感と不安感を禁じ得ない。何人かの人物が紹介されていたが、名前を覚える気にさえならん。日本人はカネを扱う職種を卑下する傾向があるとはよく言われる所だが、それとは別問題だ。お金は人の生産活動に利用されてこそ価値を持つのであろう、金儲けのためにカネを動かし、あまつさえ、そのために正常な経済活動に支障を与えているとなれば、何をか言わん、である。社会主義国を「悪魔の帝国」と称した某国の大統領がいたが、私からみると、この様な行為こそが「悪魔の所業」と思える。これが資本主義社会での当然の帰結であるとすれば、やっぱ資本主義は破綻する運命だわな。


1998.6.6.

噂のファイル・朝日TV

子供が別の番組を探してチャンネルを回しているうちに写った画面を、しばらく見ていた。体から相当な電気を発生する人間、だそうである。テスターで検査しても全く電圧計の針は振れないのに、手に持った電線が、横にある金属の枠(?)に触るとスパークが生じる(しかも持続的に)のだそうである。「スパークの長さから、数百ボルトの電圧がかかっているはずなのに、不思議なことだ・・・」と、気功も(!)研究したことがあるという某氏がコメントを加え、世の中には科学で説明できないことがある、との雰囲気を盛り上げる。
体に仕掛けがないのなら、その金属製の枠をちゃんと調べなさい!そんなことは小学生でも気が付くよ。
理科の授業がけずられたせいで、このままでは科学に疎い日本人が多く育ってしまう、と憂いている人たちがいるが、学校の授業よりも影響が大きいテレビの科学性のほうが問題だ。そういえば、この番組の同時間に、某FTVではもっと珍妙な番組が放送されている。全くの思いつきの、ふざけ半分で作っているとしか思えない、このようなくだらない番組を放送するにも、地球の環境を壊して産生した膨大なエネルギーを要していることを、TV人は自覚しているのか!


1998.5.24.

NHKスペシャル「海・知られざる世界」

今回は2回目。非常に見たかったが、見ることができなかった。見ていないのに批評を書くのは変だけれど、久しぶりにNHKの面目躍如と言えるこのシリーズにエールを送りたい。第一回は再放送で見た。バミューダ沖の「魔の三角地帯」で起きる遭難事故の原因が、ダウンバーストとメタンハイドレートではないかとの説は極めて信頼性が高い、と思う。メタンハイドレートのエネルギー源としての可能性や、大きな気候変動を起こし得る危険性も、非常に興味深かった。再放送が待ち遠しい。
アナウンサーがCGの海の中を移動しながら話をするのは、「天才テレビくん」の評判に気を良くしたスタッフのアイデアかも知れないが、この様な科学番組では不向きです。


1998.5.1.

海外ドキュメンタリー「エネルギー戦争・反温暖化の仕掛け人を追う」

地球温暖化の警告を、荒唐無稽の物とする一部科学者集団の実態を暴こうとした、デンマーク放送協会の作品。途中からチャンネルを合わせたので、紹介された情報を一部しか得ていない。この「怪文書」(「○○宣言」?)も、主犯格のドイツ人科学者の名前も忘れてしまった。
これらの反温暖化キャンペーンを裏で操るのは石油メジャーではないか、という大胆な予想に対して、番組の終了後に小出解説委員がコメントを述べていたが、さすがNHKです。充分あり得ることなんだから、そのまま放送してもいいんじゃないかと思ったが・・どの時代でも、どの国でもご用学者は居るもんです。エネルギーは石油メジャーが支配し、食料は穀物メジャーが支配していて、今や世界はこれらの手の中で思うがままにころがされ、傷つけられている。おっと、もう一つ武器商人がいたぞ。


1998.4.27-28.

ETV特集「チェルノブイリ事故12年目の報告」

放射能汚染地区からの避難勧告にもかかわらず、生まれ育った土地から離れられずに暮らしている老人達が紹介されていた。しかし、その地も昔ながらの景色ではないのである。放射能で汚染された家具や木材が盗み出されるのを防ぐため、残った家屋はブルドーザーで土の中に埋められてしまうのだ。もはや見慣れた風景ではなくなった生まれ故郷であっても、それでも、彼らにとってはそこが一番の安住の地なのだろう。
これを見ながら、時々乗ることのある飛行機からの風景を思い出してしまった。ジェット機が飛ぶ数千フィートの上空は非常に澄みわたっている。飛行場に近づいて高度を徐々に落としていく時、その澄んだ空気の底にたまった濁ったよどみの中に町並みが見えて、ああ、あの濁りの中に戻っていくんだなあ、と思う。放射線だけを避けたところで、我々は、我々自身が作り出した濁りの中で生活せざるを得なくなっているんだ。


1997.12.5.

海外ドキュメンタリー「やればできる」

脳性麻痺のスウェーデンの映画監督が、ハンガリーで開発された独特のリハビリメニュ−で、自分一人でフォークを使って食事が出来るようになるまでの過程を、自らの演出で制作した番組。
概して、この類の番組は「構えて」(いわば、正座して)見る事になってしまう。今回もやはり最初は身を引き締めて見ていたのだが、徐々にその硬さはとれてしまった。確かにこちらも思わず力を入れてしまうような、かなりつらそうな場面も何度かあるのだが、それを強要する風がない。自国に帰って、カウンセラー達と話している画面が適度に挿入され、その際には「あなた、いくら練習しても、それは無理だと私は思うのよ。」といった周囲の者からすればごく普通に考えるであろう意見が、何人もから遠慮なく発せられる。もちろん、日本の番組なら当然のことのように流されるであろう大袈裟なバックグラウンドミュージックなどない。淡々とリハビリの様子が描かれ、やがて最後にカウンセラーのみんなと食事をする場面・・・これがドキュメンタリーなんだな。
題名が、まるで根性モノのドラマの様だが、言っているのは「やってみないと出来ることも出来ないよ」という事である。訳をもう少し工夫して欲しかった。

この番組を見ながら考えたことがもう一つ。私の小さい頃は、脳性麻痺の子が同じ学校で勉強していた。となりに彼・彼女が座っていても、そんなに違和感など感じることはなかった。脳性麻痺が知能障害を伴う病気だとか、遺伝する病気だとか、そんな極めておろかしく・無知な発言がされるのは、彼らを普段の生活から遠ざけてしまったことが一番の原因ではないかと思う。


某・朝の番組

小学4年のウチの子供が、「あの人達は取材をするのがいやなのかなあ」と言った。朝の新聞を買い集めて、その中から適当な記事を読んで時間をかせいでいる某・朝の番組のことである。まあ日本のテレビはその程度のものだと考えればそれでもいいが、無視できない点が2つ。新聞記事に対する検証を怠っていること(するつもりもないようだ)、記事を読む読者の立場をよそおい、その内容について責任を取るそぶりがないこと。無責任きわまりない。


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