偽薬



2020.01.23.



 「金に困っているなら、こちらに来ないか」という連絡が播田から来たのは1か月前だった。学部は別でも同じ大学で同じ宿舎だったので学生時代にはしばしば一緒に行動したものだが、卒業後は次第に疎遠になり、最近は全く消息も知らなかった。なので突然の電話に驚いた。しかも行き先がアフリカである。だが、売れない三文小説を時々あちこちの雑誌社に送っても日々の生活費を得る手段には到底及ばず、アルバイトをしながら何とか暮らしている今の状況から、ひょっとしたら抜け出る事が出来るかもしれないと思い、格安チケットを手に入れた。Visa取得やらワクチンやらとあわただしかったが、ともかく日本を発った。

 キンシャサ空港に着いたのは昼過ぎで、空港から出たとたんの熱気には閉口した。タクシーもエアコンがあまり効いていなかったが、約束のホテルへはさほどの時間を要さず到着した。チップを渡したらカバンをホテルの中まで運んでくれた。
 ホテルのフロントで播田という日本人に会いに来たと伝えたところ、フロント係は何かを確認する様に手元を見て、少し待つように言ってどこかへ電話を掛けた。すると体格の良い別のスタッフがやって来て俺をロビーの隅の席まで案内し、座って待つように指示した後、自分はその横に立った。なんだか監視されている様に感じたが、やがてその事情は分かった。
 しばらくして制服姿の男がロビーに姿を現し、俺の横に立っている体格の良い、目立つホテルマンを見つけて近づいて来た。彼はホテルマンと目配せをして俺の方に向き直り話しかけて来た。
 "Bonjour monsieur."フランス語はカタコト以下だがどうしようかと戸惑った顔を見せていたら、英語に切り替えてくれた。英語なら何とか対話できる。制服の男は自分はブウェンゲ・ムルアカ警部だと名乗り、事情を聴きたいので警察に来てくれと言った。俺は友人に会いに来ただけだと説明したが、その友人の事を聴きたいのだと言う。ホテルにチェックインする余裕もなく俺は旅行カバンを持ったままホテルを出てパトカーに乗った。

 警察署の奥の部屋に案内された。TVで見る日本の取調室のような場所を想像していたが、普通のオフィスと言っていい造りの部屋で、真ん中の大きなデスクのその横の机に座っていた女性が、警官だか秘書だか分からないが、俺の方を向いてBonjour, ça va?と話かけてくる。どうやら尋問や監禁のたぐいでは無さそうだと安心した。Ça va merci, et vous?くらいは返す事が出来た。
 ほどなくムルアカ警部が部屋に戻って来て、事情聴取が始まった。播田に付いての話は驚くことばかりだった。そうだ、まるであの、映画の「第三の男」と同じ展開じゃないか、主人公の状況は違うけれど。
 播田は2日前に車でトラックと衝突し、現在意識のない状態で入院している。彼の仕事は医薬品のブローカーだった。しかし扱っていたのは普通の医薬品ではなかった。効果のない偽薬だったのだ。この地域では巧妙にパッケージを偽造した偽薬が大量に流通し、市中のみならず病院内でさえ効果のないニセ物が処方されることがある。政府は取り締まりに力を入れているが、薬剤管理システムが未だ十分でない事に加え偽造が巧妙さを増し、その被害は甚大なものになっている。播田はC共和国の輸入業者に雇われていたらしいという事は分かったのだが、それ以上の捜査が進んでいない。そんな時に俺が日本からやって来たわけだ。
 決して流ちょうとは言えない英語で苦労しながら今までの播田との関係を説明し、1か月前に突然連絡が来たことを話した。俺の仕事を聞かれ、説明できる資料を持っていない事に困惑したが、幸い俺が書いた小説を出版社がインターネットで公開してくれていて、その翻訳ページを見て何とか納得してくれたようだった。
 「一度、友人に会ってもらいましょう」と、警察署から再びパトカーに乗って病院に連れていかれた。

 病院は近代的な建物で、内部の設備も日本とさほど変わらない。こんな施設であっても偽薬が出回るのだろうかと不思議な感じがした。播田は個室に入っていた。全身を包帯に巻かれ顔も見えず、口の所だけ開いて人工呼吸器が付けられていた。
 ベッドの横には、黒い肌の若い女性が座っていた。大きな目と長いまつげが印象的だった。ムルアカ警部が席を外した時に彼女に話しかけた。
 ”Vous le connaissez bien, cet homme?"(この男のお知り合いですか?)
 彼女は"Oui."と答えた。
 "Vous êtes ..."(あなたは・・・)とまで口に出して、続く単語をフランス語でどう言うのだったか考え込み、「えーっと・・」と声に出したら、彼女の方から話し始めた。
 「日本語、少し話せます。日本の会社にいました。」
 そして、俺に話すと言うよりも、自分に話しかけるようにゆっくりと続けた。
 「ハリタさんは、私の弟を助けてくれました。病院の薬はダメ、自分が持っている薬を飲みなさい、と言って薬を持って来ました。弟のマラリアは良くなりました。」
 一呼吸おいて続けた。
 「私のお父さんも病気でした。私はそれを知りませんでした。お父さんは病院で、薬をもらいました。」
 そして、しばらく間をおいて彼女はつぶやくように言った。
 "Il est mort"(お父さんは死にました)
 俺は聞いた、「お父さんが飲んだ薬は、播田が輸入した薬だった?」
 「Inspecteurムルアカは、そう言いました。」
 そういった後、彼女は黙った。俺も、それ以上聞かなかった。
 ムルアカ警部が別の日本人を連れて入って来た。大使館の事務官だと言い、もしも播田が死亡した場合、遺体か遺骨を日本へ搬送する手助けをしてくれるかと尋ねられた。どうやら播田には日本での身寄りが居ないようだった。そこまで面倒を見るほどの間柄ではないと言い訳し、その依頼は断った。

 播田の状況によっては再度面談する事があるかもしれないとムルアカ警部に言われ、病院の近くのホテルを紹介された。鉄格子のような門が付いたそのホテルにチェックインし、シャワーを浴びてベッドに横になったら、そのまま直ぐに眠りについた。

 翌朝、電話のベルで起こされた。受話器を取ると、昨日病院で会った事務官の声だった。
 「先ほど播田さんが亡くなりました。」
 「そうですか・・」
 「堀井さんは、どうされます。病院に行かれますか?」
 「ああ、いいえ、播田に誘われて来たんですが、もうここに居る理由もないし、できればすぐに帰国するつもりです。」
 「帰りのチケットは持ってますか?」
 「まだ持ってません。ネットで調べてカードで購入します。」
 「わかりました、それでは、お気をつけて。」
 受話器を置いた後、バッグからパソコンを取り出して航空券を検索した。幸いなことに今日の夕方出発する便に空席があり購入した。
 朝食の後フロントで航空券の印刷を依頼し、荷物を持って降りてチェックアウト手続きをしていると、横にムルアカ警部が近づいてくるのが見えた。また警察署に行く事になるのかと心配したが、今日は見送りに来ただけだと言う。夕方の飛行機で出発する事を伝え、それまではホテルのロビーで時間をつぶすつもりだと話すと、その時にまた来て空港まで送ってやるとの申し出だ。断る理由もないし、喜んで申し出を受けた。

 空港までパトカーに乗って行った。ムルアカ警部は保安検査の前までついて来て見送ってくれた。別れの挨拶をして出発ロビーに入ったのだが、ドバイ行きの出発ゲート前に立ちぼんやりとロビーの端を眺めていると、そこに警部とそっくりの制服姿が現れるのが見えた。遠くからそれとなく俺の方に注意を向けているようだった。こちらも気づかないふりをした。
 搭乗案内が始まり、携帯を機内モードに変更しようとポケットから取り出したその時、着信音が鳴った。発信者は播田と表示されている。どういう事だ?混乱したまま受診ボタンを押した。
 「すまないな堀井、けど今は状況が悪い。またいずれ連絡するよ。」間違いなく彼の声だ。
 どちらを選択すべきだろう・・・、搭乗口と、ロビーの端のムルアカ警部とを交互に見つめ、立ちすくんだ。





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付記*
ある調査によると、アフリカで流通している医薬品の30%〜60%は偽薬か効果の乏しい薬だそうです。それらの偽薬のせいで毎年100万人が命を落としていると言われます。