フェイス・ハッカー



2020.01.12.



「外を歩けば監視カメラに当たる。と言われるくらい街中にはカメラがあふれているのはご存じの通りです。あ、監視カメラという言い方は放送禁止用語でした、顔認証カメラ、と言うべきでしたね。場所によっては笑顔チェッカーとか呼んでる所もありますが。」立て板に水という表現がピッタリ合うのは、この男の喋りだろう。彼はさらに続ける。
「たとえば御社の営業パーソンが色々な場所を訪問された場合、その方々が何時、何処に行ったか、ことごとく記録されているわけです。通常は監視カメラ・・あ、失礼しました、顔認証カメラのデータは公開されない建前になっていますけれども、世の中にはいろんな業者がおります。法律スレスレの事を商売にしている連中がたくさん居ります。これをご覧ください。」
 太黒通信社のセールスマンと称するその男は、持ってきたパソコンを出して、フォルダーをクリックした。そこには彼自身を写した監視カメラの画像が日時順に収納され、その時間と場所のデータがリスト化されて表示されていた。
「もちろん、これは私が自分で撮影したものではありません。ある業者に依頼すると、このような情報が手に入るのです。私が昼ご飯をどこで食べたか、何時何分にトイレに行ったかさえ分かってしまうのですよ。」
 花丸社長は、暫くパソコンの画面を眺めた後にボソリと声に出した。
「これは、違法ではないのかな。」
「もちろん、全くの赤の他人がこれを請求すると法律に触れる事になります。しかし、3親等以内の親族あるいはその依頼を受けた者が正当な理由で申請した場合は条件を満たせば許可されます。つまり、正式な書類が、条件を満たす内容で記載されていれば、ということです。・・お判りでしょうか。」最後のセンテンスは、思わせぶりに低音でゆっくり語った。そして、花丸社長がその意味を理解しただろうと思われる間合いをとって続けた。
「悪意を持ったライバル社から、御社の動きを知られないように守る方法を、私どもはご提供できます。それが、このフェイス・ハッカーという商品です。」
 セールスマンはカバンの中から広口の蓋が付いた容器を数個取り出した。
「ええっ、これ?化粧品のクリームみたいだけど・・」横にいた花丸ジュニア副社長が声を出す。
 セールスマンは、定型的な反応に満足した表情をみせ、続ける。
「それこそが、この商品のポイントなんです。世の中には顔認証拒否メガネとか、顔認証そのものを出来なくさせるアイテムが出回っていますが、あんなものをかけて街を歩いたら、かえって目立ってしまいますよ。この商品は、それらの品とは全くコンセプトが異なります。顔認証アプリの裏をかいて、別人として認識させる物です。それだけの説明ではご理解いただけないでしょうから、テストをしてみましょう。どこかにフェイスチェックの機械はありませんか?たとえば出勤確認のタイムレコーダーとか、セキュリティチェックとか・・」
「社長室に入室チェックの機械があったよね。」と花丸ジュニア。
「もしよろしければ社長さん、それで私どもの製品をテストしていただけませんでしょうか。実は今回、花丸社長にぜひご購入を検討していただきたく、社長さんのお顔に合わせた方法をあらかじめセッティングして持参しているのです。お顔の写真は御社のホームページから拝借させていただきました、本来は機能を100パーセント発揮させるためには、前後左右最低10か所以上の写真が必要なのですが、私どもの研究員が今回の商談のためにたいへん頑張ってくれましたので、恐らくご満足いただける効果をお見せできると考えております。」
 セールスマンは席を立ち、花丸社長の横に来てしゃがんだ。そして「失礼します」と言って、社長の顔の何か所かにそれぞれのクリームを塗った。クリームの瓶のふたを閉めて机に置くと、カバンの中から鏡を出して「どうぞ、ご覧ください」と社長に渡す。
「あまり顔つきが変わったようには見えないけどねえ。」と鏡を見ながら社長が言うと、答えた。
「先ほども申し上げました通り、それがポイントなのです。人の目では殆ど変わり無いように見えますが、認証ソフトのアルゴリズムが適応される重要なポイントに、微妙な、かつ決定的な変化を作っているのです。」そういわれれば、鼻根部は少し明るく見えるし、目の下は微妙に左右異なる暗い色にも見える。
 そして今度はカバンからチューブ容器を出して社長に渡しながら言った。
「それでは、そのお姿でフェイスチェックの前に進まれて反応をご覧ください。もちろんそれだけでは機械の誤動作との区別がつきませんので、その後にこの洗剤でクリームを洗い流して、もう一度反応をご確認ください。水や普通の洗剤では簡単に落ちない成分です、必ずこの洗剤をお使い頂くようにお願い致します。」

 花丸社長はエレベーターで階を上がり、社長室の入口の顔認証カメラの前に立った。通常なら社長の顔を確認すると速やかにドアが開くのだが、全く反応しない。ひき返し洗面所に入り、渡された洗剤を使って顔を洗い再び入口に立つと、今度はドアが開いた。社長室の中に居た秘書が社長の姿を見て立ち上がった。
「社長、応接室で太陽電機の方がお待ちですが、すぐに行かれますか?」
 そうだった、今日は太陽電機との商談もあったのだ。時間はもっと後に予約していたはずだが早く来てくれたらしい。 「すぐ行こう。3階の太黒通信社の方には、暫く副社長が対応してくれるよう伝えてくれ、30分くらいしたら私も行くから、とね。」
 秘書にそう指示を出して、社長は応接室へ向かった。

 太陽電機の営業パーソンの話も、顔認証カメラの話だった。
「いつも当社製品をご愛用頂きありがとうございます。実は製品のバージョンアップの件でお伺いいたしました。」太陽電機さんが説明を始めた。
 最近、フェイスチェックをかいくぐってライバル社の社員が商談会に出席したり、同一人物がチェックを逃れて別人として何度も登録しマーケットリサーチの妨害をするといった事例が多発している。そこで、フェイスチェックの精度を高めるためハードとソフトのバージョンアップをすることになった。今サービス期間なので、この間に新たな製品の購入をお勧めに来た、という内容であった。花丸社長は、会社全体のシステム交換にどれくらいの費用がかかるか見積書を作ってもらうように依頼し、後の対応を専務に任せてエレベーターで階を降りた。

「いや、お待たせしました、申し訳ありません。」社長は部屋に入りながら言い、椅子に座りながら副社長に尋ねた。
「で、どんな方向になった?」
「僕は、このフェイス・ハッカーは必需品だと思うね。」
「私もそれに同意だ。ただ、その前にお聞きしたいのだが、」と社長は太黒通信社のセールスマンの方に向き直り、先ほどの太陽電機との面談を思い出しながら言った。
「当然、顔認証カメラの方も、解析方法の変更や改善をしてくると思うのだが、それについてはどのような対策を考えておられるのかお聞きしたい。」
 セールスマンは答えた。
「ごもっともなご心配です。その対策は当然考えております。カメラのセンサー変更、解析のアルゴリズム変更にいち早く対応するため、わが社の研究員は新製品が出るたびに各社の顔認識カメラを調査し、それを克服できる手段を開発しております。同じクリームで対応できる場合は新たな費用は頂きません。ただ、クリームの吸光物質や反射材に変更が必要になった場合は、新たにご購入いただくようにお願いしております。グループでご購入いただければ割引もありますので、ぜひご検討いただきますようお願いいたします。」
 花丸社長は会社の営業パーソンの人数を伝え、割引がどの程度適応できるか最終的な契約内容を作ってくれるように依頼して、部屋の出口でセールスマンを見送った。

 そのセールスマンが先ほどまで座っていた椅子を片付けようとしていた副社長が何かを見つけて言った。
「この部屋は毎日掃除してるはずだよね。なら、これはさっきの太黒通信さんが落として行った物かい?」
 その手にあるのは、恐らくカバンの隅から落ちた小さな紙きれだった。
「太陽電機の職員食堂の領収書だよ、変だね。」
 花丸社長は理解した。なるほどそういうしくみか、その商魂に感心し、口の中では苦虫を噛んだ。





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