音声入力



2020.01.05.



 熱帯の島の山中で10年間農業指導をしてきた。生活のほとんどが山から山への移動で、日本との連絡は細いインターネット回線を通じたメイルだけだった。だから、この間に日本の中がこれほど変化しているとは想像も出来なかった。

 空港から電車に乗り、久しぶりに大学時代の親友と会うため約束の駅で降りた。改札を出て、待ち合わせのカフェの場所を聞こうと、通りがかった若者に声をかけたのだが、彼は怪訝そうな顔をしてこちらを眺め、ポケットからスマホを取り出してそれにむかって喋った。「***ア**、**マッ***、ノ**デ**」、音節の分かれ方からすれば、日本語のようでもあるが、ほとんど理解できない言葉である。そして若者はスマホの画面をこちらに向けた。 「あなたの言葉はよく分りません。あなたのスマホで示すか、文字で書いて下さい」と表示されていた。言葉が不自由な人なのかも知れないとその時は考え、ポケットから手帳を出して「バベルというカフェはどこですか」と書いた。若者はそれを読むと、「リョ**、**ダ**ゴ**、**グア」というような事を言いながら、通りの向かい側を指差す、どうやらその方向に店があるようだ。ここからは店は確認できないが、これ以上この若者の手を煩わせても気の毒だと思い、Thank you.と礼を言ったら、Sure.という返事が返ってきた。なるほど、彼は英語圏の国から来た日本語に不慣れな若者だったのかと、とっさに思い、しばらくして、相当癖のある私のカナ文字を瞬時に理解した事を思い出し、少々混乱した。

 大通りを渡ったが、そこから小さな通りが入り組んでおり店の場所が確認できない。再び誰かに場所を聞かねばならないが、行き交うサラリーマン風の人々は声をかけようとすると更に足早になって遠ざかって行く。一瞬たりとも無駄な時間を使いたくないというような雰囲気である。歩道の脇に数人の高校生が喋っているのを見つけた。先ほどのことがあるので、彼女たちが手にしているブックバンドの中に日本語の教科書があることを確認して近づいたのだが、カフェの場所を質問すると、またしても怪訝そうな顔でこちらを向く。「***デゲ***、***ア***、コ***ヨ**」と言う様な言葉で話し合った後、その中の一人が私のほうに自分のスマホをかざして来た。「ここに向かって喋ってください」と表示されている。スマホのマイクに向かって「バベルというカフェを知りませんか」と喋ると、つながったイヤホンで聞いていた高校生は、分ったという風にうなづいて、こちらに来いと手招きし、路地の一つの入り口で「あそこだ」という風に指差す。重なった看板の中に店の名前を確認することが出来た。Thank you.と礼を言うと、彼女たちはお互いに顔を見合わせて笑い、「アリガトゴザイマス」と少々奇妙な発音で答え、そのまま笑いながら去って行った。

 店の中でもまた同じような問答をせねばならないのだろうかと不安だったが、幸い友人は先に店に来ており、私を見つけて手を振った。
 これまでの経緯を話したところ、友人が解説してくれた。

 外国からの観光客を呼び込むため、政府は当初外国語の学習を勧めていたが、やがて高性能の翻訳ソフトが手軽に利用できるほどに機能は進歩した。同時に音声入力が一般化し、種々の書類や個人確認も音声入力のIT機器で可能になった事がさらにそれを促進した。そして高性能化した音声入力は、個人の音声や喋り方の特徴を更に細かく判別するようになった。他人には理解できないような話し方でも、その微妙なニュアンスから意味を読み取り、日本語化、つまり標準語化してくれるのである。かくして、殆どの若い世代は、非常に狭いコロニーでのみ通じる話し方に収束して行き、他人との会話にはスマホが手放せない状態になっているのであった。

 友人が窓の外を指差した。
「見てみろよ。今あそこで通行人同士が何か口争いしてる。」
 それは奇妙な口論であった。一方が大声で何か叫ぶ、それが理解されないと分ると、恐らく同じ事を自分のスマホに向かって喋り、それを相手に見せる。相手は一時動きを静め、そのスマホを覗き込む。しかる後に一歩退き大声で何か叫ぶ、それが理解されないと分ると、恐らく同じ事を自分のスマホに向かって喋り、それを相手に見せる。相手は一時動きを静め、そのスマホを覗き込む・・・、何とももどかしい口論である。

「その内に両方とも疲れて諦めるか、それともコミュニケーション無しに殴り合いになるか、どちらかだろうね。」
「そんな状態で社会が成り立っているのか?」と私。
「今の所は保たれているよ。だが、電子機器が使えなくなったらどうなるんだろうね。太陽のフレアが暴れないことを祈っているよ」友人はそう言いながら無表情でコーヒーをすすった。



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