A君はAI己愛





by 2021.06.10.



 その時から、Tarizo君のAIチップは、それまでの演算法を拒否し始めた。
 Tarizo君は、それまではAkihaさんと、とても仲睦まじい関係を保っていた。AIがいつも最適の行動を判断してくれたからである。いつ、どのように話を始めるか、どのタイミングでどんな話題を持ち出すか、相手の語りかけに対してどんな言葉を使えば喜ばせることが出来るか、AIが教えてくれた。それだけではない、声帯も顔面筋もAIチップから伝えられる信号でコントロールされ、Akihaさんが一番好む声色や微笑みに変えてくれるのであった。かくしてTarizo君がAkihaさんとキスしたいと思えば、ほぼ確実にその望みはかなえられる。それ以上の事がしたいと希望すれば、まあ、恐らくそれも叶ったかも知れない。これほど面倒を見てくれる脳チップは一般庶民には手に入らない。彼のお父さんが色んな所の有力者で、とにかく、そんなわけで、最先端のデバイスが彼の頭に埋め込まれていたわけだ。
 そのアルゴリズムがちょっとだけ変わった、突然に。と言っても、それは一つのルチン作業の結果ではあったのだが。プログラマーの個性によって動作が規定される事を防ぐため定期的にAIに追加されている意図的な誤情報と、Tarizo君の思考過程がシンクロしたのである。最近Tarizo君は、自分の声や表情をわざわざAkihaさんの好みに合わせる事にうんざりしていた。それが今回入力された情報と共鳴し、プログラムに小さな人工的バグを形成した。その結果、「Akihaさんの反応がどう出ようと知ったこっちゃ無い」モードにシフトしたのである。変化したのはAkihaさんへの態度だけではなかった。クラスのみんなに対する態度も変わった。それまでTarizo君はみんなと仲良くする事を大切に考えていた、はずだった。だが、とても偉いお爺さんやお父さんを持っている自分が庶民の子供らの態度を気にする必要など無いじゃないか、という本音を隠さなくなったのであった。
 こうなると言葉遣いも大きく変わった。まともな返事もしなくなった。あからさまに相手を見下した言い方をするようになった。ところが、Tarizo君は次第にクラスの人気者になった。「みんな仲良く」という考えは「ポリティカル・コレクト」で「ファー・レフト」である、とのスローガンをTarizo君のAIが捻り出して、サポーターズ・クラブを通じてクラスに広めた事も奏功した。ポジティブフィードバックでTarizo君の態度はますます尊大になり、ますます人気は高まり、学級委員長に選ばられる事になった。そしてついに生徒会長にも立候補し見事に当選した。
 生徒会長になったTarizo君は、その公約実現に動き始めた。職員室に乗り込み「微分や積分は役に立たない」と主張した。一部の生徒や教師は、その意見に反対したが、彼らは恫喝され干されたという噂だ。なにせ、Tarizo君のお父さんは実力者なのである。
 おっと、Akihaさんがどうなったか、書きそびれる所だった。Tarizo君から冷たくされたAkihaさんは、Tarizo君に愛想をつかしたかと思いきや、もうTarizo君にぞっこんなのである。彼女だけではない、クラスの多くの生徒たちは、自分たちを見下して言いたい放題の悪口雑言で語りかけるTarizo君を、強くて威厳のある男、と思って夢中なのだ。彼らは本質的にMazohistなのだろう。だが、それはもう数十年前から分かっていた現象だ、いまさらここに書き留める程の事ではない。  



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参考文献:
 The impact of a lack of mathematical education on brain development and future attainment, George Zacharopoulosa et al, PNAS 2021